2013年9月4日水曜日

ドゥルーズの哲学原理


 國分功一郎「ドゥルーズの哲学原理」読了。

 僕が学生のころ、フーコー、ドゥルーズ、デリダの3人はまるで新興宗教の教祖のように崇められていて、毎月のようにどこかの雑誌で特集が組まれていた。要するに、ブームだった。

 しかし、正直なところ、僕がこの3人の哲学者の本で読んだのは、フーコーの「言葉と物」と「知への意思(性の歴史)」だけで、ドゥルーズとデリダは文章が難解で何が書いてあるかすら判らなかった。(ちなみに、フーコーを読んだと言っても内容を理解したというわけではない)。

 大学院の先輩は、「明らかに判らなくていいように書いているのだから、判らないのは当然だ」と言っていたが、フランス特有の気取り趣味のようなものが極限に達した文体であるのは間違いない。

 このほど國分功一郎の本を読んだのは朝日新聞で「今まででもっともわかりやすい解説書」という書評を見かけたから。で、その結果は、

 なるほどこれまでの解説書とは違って判りやすい。それは、國分功一郎がドゥルーズの述語に頼らずに自分の言葉で書いているから。ドゥルーズも最初からこう書けばよかったのに、とすら感じる。

 通勤電車で読んだので気が散るところもあったが、ていねいに読めば内容はほぼ理解できるのじゃないかな。今回はドゥルーズとドゥルーズ=ガタリの違いと超越論的経験論のあたりはわかったと思う。精神分析が関わってくると面倒くさくなり、オヤジの集中力はとぎれたが。


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