昨日とはうってかわって晴天。今日が明日なら五月晴れといったところ。息子は友達と野球観戦に出掛けた。僕は一日家で過ごす。
明日は家族で野球観戦をする予定だが、予報は最悪なので、明日の試合があるかどうかの天気ばかり気になっていた。
Photo: iPhone8
昨日とはうってかわって晴天。今日が明日なら五月晴れといったところ。息子は友達と野球観戦に出掛けた。僕は一日家で過ごす。
明日は家族で野球観戦をする予定だが、予報は最悪なので、明日の試合があるかどうかの天気ばかり気になっていた。
Photo: iPhone8
連休に入ったものの、南岸低気圧の接近で冷たい雨が降り続き、真冬に戻ったような寒さ。
野球も中止になったので、TVで放送されていた昔の「相棒」などを観て過ごす。今日の作品はまったく観た記憶がなかった。「相棒」は観ていない作品はないから一度は観ているはずなのだが。そして、観た記憶のないない作品は最近のものが多く、初期の作品は内容まで覚えているのが大半だ。なぜ?
連休前の木曜日。すでに休みを取っているひとも多く、職場はまったりとし雰囲気。定時に退勤。
森博嗣の「歌の終わりは海」を読み進む。シリーズものではないが、加部谷恵や小川令子などが登場してなじみのある展開。まだ途中だけど、傑作だと感じる。
晩に息子が帰省。
方丈貴恵の第2作を読了し森博嗣へ。ある意味無味乾燥な方丈貴恵の文章に対し、森博嗣を読むとふるさとに帰ってきたような。
連休中に野球を観に行く予定なのに、天気予報がことごとく良くない。こればかりはどうしようもないが、なんだかなあ。
昨日から仕事上の停滞が気になってしかたがなかったので、朝イチで会議をして懸案を解消する道筋を話し合う。
担当者もそろそろ手をつけなければ危ないと自覚し始めたようで、なんとか大事にならずに済みそうだ。これで心置きなく連休を迎えられる。
月曜日。ここにきて数か月前に図書館に予約していた森博嗣の本の順番が回ってきた。先日方丈貴恵を2冊借りたばかりなので2週間以内に読むのが大変、ではないけど、ちょっとあせる。連休だし。
今年のゴールデンウイークは。5月2日に年休を取って7連休にする予定。6日も休んで10連休も可能だけど、それはかえって疲れるかもと。
午前中、図書館。方丈貴恵の作品2冊を借りる。
帰宅すると胃の具合が急に悪くなり、吐き気もするのでファモチジンを服用。少し落ち着いたので昼を抜いて床屋へ。夕食は消化のよい"うどん"。結局は昨夜酒を呑みながら食べ過ぎたもよう。夜にはほぼ回復。
午前中、N眼科で視野検査。いつものごとく、緑内障の可能性があるかもしれないと脅かされて終了。次回は6月。
午後、車のディーラーでタイヤの履き替え。作業待ちの間に近くのメディアテークに寄って方丈貴恵を読了し、そのまま返却。
ようやく金曜日。しばらくいこういうパターンが続きそう。
金曜ドラマの「インビジブル」。柴咲コウの金髪のファッションはきまっているし、他の役者もすばらしいのだが、何かが違うんだよなあ。あと一手間が足りないというか。
そもそも警察がマルヒ(被疑者)を"インビジブル"という符牒で呼ぶことはないと思うのだけど。真犯人の出し方も早すぎるよ。脚本の問題かなあ。
木曜日。週末まであと一息。
音楽はフルトヴェングラー指揮のブルックナーが終わったところ。本は方丈貴恵の「時空旅行者の砂時計」。複雑すぎて楽しめない。登場人物が多すぎるのではないかな。
写真は、今日の昼食の豚肉の生姜焼き。ご飯とみそ汁が機械給仕になった。
Photo: iPhone8
森博嗣「リアルな私はどこにいる?」読了
森博嗣の新作。これまでの作品に劣らぬ傑作である。
「(人間の意識は、)存在すると意識することができる、というだけで。客観的には、存在しないといえると思います。いうなれば、単なる観測です。(略)意識は、人間の頭脳が観測しているだけで、存在するかしないかしないかを問題にするのは、筋が違います。」
深いなあ。今回はリアルな肉体が行方不明になってヴァーチャルから抜け出せなくなったという設定。このシリーズはアイディアが尽きなければ、どこまでも続けられる。尽きないことを祈る。
岨手由貴子「あのこは貴族」
生まれも育った階層も違う2人の女性が東京の一角で交錯し、それぞれ自分の生き方を見つけていく。
いくら上流階級とはいえ、皇族でも一般男性と結婚する時勢にこんな時代錯誤なことをやっている家はないだろう言いたくなるような、多くの部分が紋切型で大甘な作品である。
しかしながら、この映画を印象的なものにしているのはひとえに水原希子の存在感である。彼女以外の女優だったら、この作品は冗漫なものなったのではないかな。それ以外の感想はないほど彼女の演技はすばらしかった。★★★☆☆
月曜日。朝の通勤バスの乗客が急に減って、僕が停留所の並ぶ先頭になってしまった。先週まで一緒だった人たちはどこに。
先週の慌ただしさを引きずっているのか、今日が水曜日感覚がすごくて、まだ月曜日なのが唖然とする。完全に落ち着くのはまだ先なのか。
母の見舞い。前回行った際に部屋の中があまりに乱雑なので、ごみ袋を持参して、古い郵便物などを捨てる。今後何回かやらないとすまないレベル。
母は元気なころは綺麗好きだったのだが、歳を取るといろいろ変わるところがある。身内だとかえって情けなくなることがある。
トーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」読了
あるブルジョア一家の没落を三代にわたって描ききった長編。小説というものはたんに一つの主題を扱えばいいのではなく、高尚なものも低俗なものもすべて包含する総合的な芸術であることを示した手本のような作品。
今の時代の作家は書けないだろうし、書く必要もないかもしれないが、現代では存在しないタイプの偉大なる小説だ。
担当者が急にぎっくり腰になって、休憩室に連れていったり、整形外科を探したりと一日対応。なったのは仕方がないのだけれど、正直なところ仕事がたてこんでいるので彼に休まれるのは痛い。
どうすればいいのか頭の整理をしているが、いくつかの事務は僕が受け持たなければならないようだ。このところすっかり楽をしていたので、できるのか。嗚呼。
休みを取って、いざ一目千本桜へ。
月曜日。明日休みを取ることにしたので、ひたすら仕事に集中した(←嘘)。
毎年この時期になるとそうなのだけれど、読書や映画鑑賞が滞っている。忙しいのは確かだが、物理的に本を読む時間や映画を観る時間がないわけではない。日常に謀忙殺されると芸術の存在が希薄になって、それにもまして誘因力のある芸術作品は少ない、ということなのかな。
近くの神社に桜の写真を撮りに出掛ける。
7分咲きくらい。ほとんど咲いているようでも、つぼみが少しでも残っていると写真としては撮りづらいものだ。構図も毎年同じだから取れ高としてはさほどなし。それは承知の上で、今日は新しいレンズの感触を試したもの。調子はよかったので、ひと安心。
Photo: RF100-400mm F5.6-8 IS USM with EOSR
午後、S川内科。今日は混んでいた。気候がよくなるとなぜ病院は混むのか。寒いときは具合が悪くないのか。さっぱり判らない。
医院に行く途中に近くの神社を通ったら3分咲きくらいだった。来週の土日は天気が悪そうだから、明日写真を撮るしかないかな。
毎度同じことを書くのも嫌なんだけど、仕事が嫌だ。それはともかく、
当地も今日が桜の開花と思ったが今日ではなかった。が、明日は開花する可能性が濃厚。とすれば来週半ばには満開になるとのことなので、来週は平日に休みを取って3年ぶりに一目千本桜の写真を撮りに行くつもりだ。これくらいのことがないと、やってられませんわ、ほんまに。
朝起きたら、外はどんよりとした霧に覆われていた。まるで僕の心の中のように。
今日も今日とていろいろ振り回される。もしかすると今年はずっとこの調子かも。人が変わるとどうしてこうも変わるんだろうね。要りもしない仕事をわざわざ作っているとしか思えない。嗚呼。
Photo: iPhone8
今日も設備関係で一日中振り回され、代表者のレクでは重箱の隅をつつかれて嫌気がさす。
帰宅したら納期が2週間だったレンズが早くも届いていた。これで桜にも間に合った。今年は撮りますぞ。
Photo: iPhone8
職場の設備関係に不具合があって、市役所に出向いて善処を依頼したりと、年度初め早々振り回される。
職場の担当者が異動になって新しい担当が着任したのだけれど、当然ながら仕事の内容が頭に入っているわけはない。なので、新しい担当の対応に問題があるわけではないと判ってはいる。しかし、彼が厄介ごとを呼んできたように感じられないこともない。よくある話だけども。
一日自宅で過ごす。プルーストの「楽しみと日々」と「存在と時間」を読む。映画は「あのこは貴族」。
NHKの「100分de名著」で今回は「存在と時間」を取り上げるらしい。楽しみである反面、予告を読むと、どうやら人間の実存に焦点を当てた解説になるもよう。そうじゃないんだ。実存じゃないんだ、存在なんだ。「存在と時間」の本質に人間に生き方は関係ないんだ。そんな感じもする。
録画していたNHKの「SONGS」15周年記念番組を観ていたところ、中森明菜が登場して「I Love You」をワンフレーズだけ歌ったのだけれど、その歌唱力が尋常ではなかった。
早速、図書館でCDを借り、Youtubeでも動画を観たところ、中森明菜の魂が歌に乗り移っていて心が揺さぶられた。「難破船」「駅」「雪の華」が特にすごい。シャンソンのバルバラの域にも達している。中森明菜がこんなすごい歌手になっていたとは知らなかったなあ。
バスがいつもより混んでいる。降車時の料金支払いの際にまごついている若者がいたりして、いつもの新年度らしい風景である。
僕の職業人生活最後の1年である。ここ何年かこの時期に同じことを書いていたけど、今年度で65歳になるし、本当に引退して好きな暮らしをしたいと思う。そうなることを願うばかりなり。